『神との交渉』
今回も石角完爾著『ユダヤ人の成功哲学「タルムード」金言集(集英社ビジネス書)』より紹介します。(前回のブログはこちら)
言い回しも興味深いので、少し長くなりますが引用いたします。
神―「ソドムの町は悪人で満ちている。すべて焼き払わねばなるまい」
石角完爾.ユダヤ人の成功哲学「タルムード」金言集(集英社ビジネス書)(p.102).株式会社集英社.Kindle版.
アブラハム―「ちょっとお待ちください。もしソドムの町に五〇人の善人が残っているとしたら、神様は善人も悪人も一緒に焼き払うおつもりですか?」
神―「いいや、もし五〇人も善人がいるなら、町全体を焼き払うことはしない」
アブラハム―「私アブラハムは神様から見れば取るに足らないクズのような人間です。失礼を承知でもう一つだけお聞きしてもよいでしょうか。五〇人と言いましたが、それから五人ほど少なかっただけならどうでしょうか。あまり変わらないと思いますが」
神―「うむ。四五人くらいなら、その四五人の善人のために町は救おう」
アブラハム―「失礼ながら、もう一つ聞いてもいいでしょうか。今、四五人と言いましたが、それが五人ほど少なくても町を焼き払うのでしょうか。それが神の正義というものでしょうか」
神―「うむ。四〇人も善人がいれば、ソドムの町を救ってもよい」
アブラハム―「神様、私も自分でも少しくどいと思っていますので、お怒りにならずにもう一つ聞いてください。四〇人から一〇人欠けて三〇人善人がいても、町全体を焼き尽くすおつもりですか?」
神―「いいや、三〇人いれば、町を助けよう」 こうしてアブラハムは、神と交渉し続け、最終的に一〇人善人がいれば町を焼き払わないというという約束を取り付けたのだった。
神と交渉をするアブラハム。え?そんなことできるの??
僕がまず驚いたのは「神」を相手に対等に交渉していることです。
日本人の感覚からすると、「たたりをうける(罰をうける)」とか「奇跡をおこす(助けてもらう)」といった対象じゃないでしょうか?
下手に交渉して、怒らせたでもしたら大変。。。というような気がしませんか?
交渉の進め方。お互い合意できるところからスタートして譲歩をひきよせる
交渉のすすめたかにも、日本人の感覚とは違いがあるなと感じました。
日本では、「落としどころ」とか、「本音と建て前」を使っての交渉が一般的なのではないでしょうか。
例えば、夕方のスーパーの生鮮食品のように、本当は100万円で売りたい人が、110円の値札をはっておいて、少しづつ安くして様子をみるというような。。。
買いたい人は「落としどころ」を探るため、「建前」の110万円に対して「本音」はいくらだろうと、値下げを交渉するようなやりとりが交わされ、落としどころの100万円で交渉成立といった流れが日本流ですね。
しかし、本当の価値を知る買手には、このようなこけおどしは通用しないわけです。
口先では自分のを卑下しているけれども、交渉で有利な条件を引き出すためにねばる
日本では、どちらかと言えばあきらめの良さを、潔よいとして好まれるのではないでしょうか。桜のようにパッと咲いてパッと散る。僕も個人的にはそういう方が好きです(笑)
けれども、ユダヤでは「あきらめない」ことを務めとしています。
むしろ、かってにあきらめるのは、神の思いに反すると考えるわけです。
普段の生活から、こうしたあきらめない態度を養っている人の方が、ビジネスの場でも粘り強く交渉することにつながるのでしょう。
僕はこの話を読んで、ビジネスで成功するユダヤ人が多いことに納得しました。
まとめ
さて、この話を読んだ僕たちも、ビジネスに応用しましょう。
・神を相手にしてひるまずに交渉する態度。
・例え自分に不利な条件であっても、まず合意できるところを探り交渉の舞台に乗せる戦術。
・あくまで交渉し、有利な条件を引き出すまでねばる心意気。
交渉にくじけそうになったときに、神と交渉したアブラハムのことを思い出してください。勇気が湧いてくるハズです。
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